<小さな 小さな 三つの証>

                          (その一)
  その日はディケアへ行く日でした。迎えの車が来て息子に見送られて行きました。
 一日を楽しく過ごして帰ってきました。
 しばらくして息子がおやつにしようと言って冷蔵庫から小粒のぶどうを出してくれました。
 一瞬「これは神様が下さったのだ」と思いました。
 その朝、もうそろそろぶどうのでる頃だと思うと何故か無精に食べたくて、
 買っておくように頼んでおけばよかったと思っていました。
 その食べたい、食べたいと思っていたぶどうが目の前にあるのです。びっくりしました。
 これは、神様が恵みによって下さったのだと思いました。そのことを息子にも話しつつ、
 ひとつぶ、ひとつぶ味わって頂きました。

              はつもののぶどう ひとつぶづつ食べる   倭文

                          (その二)
  「今から眼鏡の度を合わせに行きましょう」と嫁に誘われ眼鏡屋さんに行きました。
 お店の人が長い時間をかけて、何回も何回も調べてくれ、やっと決まりました。
 「これをかけて見て下さい」とのこと、かけて見るとよく見えます。
 「よかったですね」とお店の方、しかし、それはお店のものではなく嫁が使っていた眼鏡でした。
 「あんなに時間をかけて調べて頂いたのに買わなくて」と、私が言うと、「いいですよ」とニコニコされて、
 色々のケースを持ってこられ、「好きなのを選んで下さい」とのこと、私は好きな薄紫を選びました。
 また、眼鏡拭きをもってこられサービスしますと言われました。私は全く恐縮してしまいました。
 嫁の優しさ、お店の方のご親切、これも神様のお恵みと感謝しました。

                           (その三)
  長い間、お世話になった俳句のお友達が突然のご不幸に合われました。
 何としてもイエス様にお導きしようと神様に祈りつつ、お手紙を書き、私の文章の載っている
 「み声新聞」を同封して送りました。ご返事はありませんでした。
 重ねて二度目のお手紙で、私の神様から頂いた恵みの体験を書き、私の証が載っている
 「雲の間にある虹」を同封してお送りしました。
 しばらくして、お返事を頂きました。
 それには、実は十二、三年前から教会へ行っておられること、イエス様のみ教えは信じておられますが、
 亡きご主人の信じておられた仏法とは離れられないことも書いてありました。
 私は牧師に相談し、どうしてもイエス様一本の信仰に立って頂きたいと、
 牧師を通して頂いたみ言葉を書き、一生懸命に祈って封をしました。
 手紙を出そうと門まで出ますと、丁度来合わせた郵便配達の方が私が手にしている封書を見られ
 「お預かりして行きましょう」と気軽く持って行って下さいました。
 酷暑の中、少し遠いポストまで行かねばならないのを、助けて頂きました。
 良いことのために書いたお手紙だったので神様がお助け下さったのでしょう。
 このお手紙によりお友達の信仰が確かなものになって下さることを信じています。
 
 短い期間に小さいけれど三つものお恵みを神様から頂きました。
 神様は、いつも見守って下さり、お助け下さることを実感致しました。感謝です。



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