<満百歳を迎えて>

   

 私は、明治40年1月17日、7カ月の超未熟児として生まれた。育ててくれた父母の苦労は、どのようであったろうか。小学校を出、県立徳島高等女学校を卒業の春、生まれた村の小学校訓導として就職。その後結婚し、長男をもうけ、28歳で保育所の保母として勤めた。平穏無事の日々であった。昭和16年12月8日、突如開戦。初めは戦勝続きであった。17年3月、昭南島占領の日、次男の昭夫が生まれた。
 
 戦勝もいつか逆転。20年の春には、毎日のように空襲を受け、女子供は疎開した。疎開先の徳島でも二度も空襲を受け、広島・長崎が被爆。8月15日、ついに陛下の敗戦の詔勅を聞いた。ほっとした気持ちもあったが、夫婦が同時に失職。言葉に尽くせぬ戦後の生活に入った。戦後の苦しさに加え、家庭的にも私のお勤めの過労による8ヶ月の入院。夫の事故死。長男の嫁の癌による三児を残しての死と不幸が相次いだ。その時、昭夫が結婚し、苦境を助けてくれた。その後、長男が再婚。孫も次々結婚。
 
 少し落ち着いたのは70歳頃。近所の人に勧められて俳句を作るようになり、心を傾ける楽しみを得た。
いつの頃からか、長男と次男の家を交互に暮らすようになった。先に信仰に入っていた昭夫の嫁から、イエス様の話を聞いた。初めは猛反対であったが、教会へ行き、繰り返し聖書を拝読する内に、主の御心の深さが分かり、93歳で洗礼を受けた。
 
 そして、毎年、長野県の白馬賛美大会にも参加。心を込めて賛美の歌を捧げ主に喜んで頂き、信仰も深まり、感謝と喜びの日々。私の信仰もゆるがぬものとなった。
 
 新しい年を迎え、満百歳となった。この一年間、全くの健康体にして頂けた。100%主のお守りを頂いている事も、実感としてしみじみと感謝している。私にかかわる全ての人を、主はお守り下さっている。週三回のデイケヤも実に楽しく、家でも何の不安も無い。
 
 1月17日の誕生日の当日、デイケヤでは全員集合。華やかに祝って下さった。百合やバラの見事な花束。お祝い品。皆様の寄せ書きと次々に頂き、最後は楽しいお茶会であった。
 
 家に帰ると、俳句の竹本先生、松山の昭夫、孫、その他の孫、曾孫からのお祝いの品々が届いていて、胸いっぱいの喜びであった。夕餉は、嫁と孫の心尽くしの手料理で、つつましく心温かく済ませた。全ては主の大きな大きなお恵みである。入信以来のひたすらの祈りに、主がお答え下さったのだと、主に心からの感謝を捧げている。