<若くなった私>

  四ヶ月ぶりに、ふるさとの福祉施設老人憩の家を訪れました。
 皆さん飛んで来て、抱きかかえんばかりに迎えて下さいました。
 ご無事で、三つも四つも若くなって、綺麗になった、背が伸びたなど口々に言って迎えて下さいました。
 楽しく話し楽しく踊って帰りました。

  今まで何回松山から帰っても若くなったとか、綺麗になったなどの言葉は聞いたことがありません
 でした。何故と思い返してみました。

  去年十二月はじめ、私の信仰への長男夫婦の厳しい反対にあい、住み馴れた家を出ることに
 なりました。悲壮な決意で家を後にしました。

  今までのお客様でなく正式に松山教会に入会、真剣に信仰に取り組みました。
 毎朝の礼拝祈祷に先立って、稲川牧師、山村牧師、嫁から贈られた聖書からのみ言葉十七枚を拝読、
 主の祈り、使徒信条、嫁の書いてくれたプリント「キリストのうちにある現実と力強い告白」、
 そして聖書箴言、その日の分を拝読します。そして讃美の歌、型の様に祈りへと進みます。
 感謝を第一に悔い改め、そして数々の祈りを捧げ、最後に聖書十章以上を拝読して終わります。
 これをきっちりと実践しました。

  一日一日信仰は深まり、どんなときにも主は共にいて下さることを実感しました。
 心の安らぎ喜びと感謝の毎日、心の安らぎは健康にもつながりました。

  二月の中頃、息子がホームページのご奉仕をさせて頂くことになり、思いがけず私も信仰の
 「証しと俳句」を松山教会のホームページに載せて頂くことになり、み声新聞にも紹介して頂き、
 ミニコンサートにも嫁と共演しました。

  喜ばしいことが次々とあり高齢者として最高の日々を送らせて頂きました。
 溢れる様な生命力に元気満々で帰りました。それが皆様の「若返った」とか綺麗になったとかの
 言葉になって現れたと思うのです。それが久しぶりの再会であったので際立ったのだと思うのです。

  このお言葉こそ、一心に励んで信仰の証しと言う他ありません。神様のお恵みに心から感謝し、
 喜んでこのことを書かせて頂きました。




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